2007年02月16日

『博士の愛した数式』小川洋子

やさしさを感じる。
そして、同時に美しさも感じる。
過剰なまでの情報の中に暮らしているときにこの本を読むと、時が止まった感じさえする。
静かな気持ちで本を読み終えたとき、あったかいものが心を満たしていることに気づく。


 
<<僕の記憶は80分しか持たない>>

博士のスーツに貼られたメモだ。
物語の前提であるこの事実は、衝撃的であるが、博士の魅力を決して損なうものではない。
そして語り手である家政婦の“私”と、博士によって“ルート”と名づけられた“私”の息子、
この3人がつむぎだす世界には、とてもあたたかいものを感じる。
人間が本来もっているであろう、他の人に対するやさしさを、静かに語ってくれる。


とりたてて大きな事件がおきるわけではなく、淡々と進む物語であるが、
そこここに散りばめられた、博士の語る数字の持つ美しさには、息を呑んでしまう。

「見てご覧、この素晴らしい一続きの数字の連なりを。220の約数の和は284。284の約数の和は220。友愛数だ。滅多に存在しない組み合わせだよ。フェルマーだってデカルトだって、一組ずつしか見つけられなかった。神の計らいを受けた絆で結ばれあった数字なんだ。美しいと思わないかい?君の誕生日と、僕の手首に刻まれた数字が、これほど見事なチェーンでつながっているなんて」

「1だけ小さい不足数はいくらでもあるのだが、1だけ大きい過剰数はひとつも存在しない。いや、誰も見つけられずにいる、というのが正しい言い方かもしれん」
「何故見つからないんでしょう」
「理由は、神様の手帳だけに書いてある」


物語の中に出てくる数式には、遠い昔、学生の頃に出会っているはずなのだが、
もうすっかり忘れてしまっていた…。
それはボクにとって、受験勉強のためであったり、大学の単位をとるためにだけ必要なものであり、そこに潜んでいる深い意味や、美しさを感じることはできなかったのだろう。

考えてみれば、どんなものにも深い意味や、そこに到達するまでの物語がある。
自分が仕事で使っている技術にも、身の回りにあふれている、ひとつひとつのモノにも。
当たり前のように感じたり、何も考えないで使っているが、
“実はひとつひとつが、深く、そして美しいもの”ぴかぴか(新しい)、なのだ。
それに気づかない、いや気づく暇がない、というのはものすご〜く、もったいないことなんだな。


数式に縁のなかったといえる“私”も、いつしか、博士の語る数の不思議に魅了されていく。
博士がメモに書いた一行の数式…「eπi+1=0」。
 …それは「オイラーの公式」と呼ばれるものだが…
それを、今度は“私”が自分で調べてみるくだりがある。

 πとiを掛け合わせた数でeを累乗し、1を足すと0になる。
 私はもう一度博士のメモを見直した。果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、恥ずかしがりやのiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足し算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱きとめられる。
 オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗黒の洞窟に刻まれた詩の一行だった。そこに込められた美しさに打たれながら、私はメモ用紙を定期入れに仕舞った。
 図書館の階段を降りる時、ふと振り返ってみたが、相変わらず数学のコーナーに人影はなく、そんなにも美しいものたちが隠れていることなどだれにも知られないままに、しんとしていた。

一行の数式を、なんと豊かな感性で表現しているのだろう。
いろんなものに対して、流されず、意味を考え、感受性豊かに接していけば、
人生はきっととても深くて、素敵なものるんるんになるんだろうな、と思う。

数式に限ったことではない。何でもいいのだ。
子どもたちに、その素晴らしさを、教えていければいいなぁ、と思う。

いや、子どもたちは、まだまだ感受性豊かなのだ。
それをなくさないように、育てていければいいんだな、と思う。ひらめき



子どもといえば、この本のもうひとつの魅力が、博士の幼き子に対する愛情の深さだ。
いや、ボクは、こちらの方にこそ、心を揺さぶられた。揺れるハート

博士がルートに対して示す、“どうやってでも守る”という心は、
親でもついついおろそかにしてしまいがちのものだ。(ボクだけだって?^^;)
多少のことは大丈夫だろう、なんて思っている自分を反省してしまう。

怪我をしたルートを背負って病院に走る博士。
ファウルボールを身を挺してかばう博士。
自分の作業の手を止めて、いつでもいつまでもルートの話につきあってあげる博士。

自分のことには無頓着でも、子どもに対しては、細やかな心遣いをする博士。
それを素直に受け止める、父親のいないルート。
博士の愛情に触れていると、じんわりと涙がにじんでくる。(・_・。)

ルートとキャッチボールをする博士の姿が、とても印象に残る。
それは、とても温かい光景だ。
とても幸せな、光景だ、と思った。
 

本屋大賞を受賞し、映画にもなった本を、今回遅ればせながら読んだ。
読む人によって、感じ方はちがうだろうが、ボクはじんわりいい気持ち黒ハートになった。
ココロがとげとげしたようなとき、ふと読んでみるといい本本かな、と思う。
 
posted by だのん at 14:02 | Comment(8) | TrackBack(2) | 本読んだ






この記事へのコメント
おはようございます。(^o^)/

私も去年の秋に読みました。
その後、DVDで観て数式の説明の所が
やっと理解出来たようなカンジでした。 (^^ゞ

最後は義理の姉さんとも和解出来た様で、
私も穏やかな気持ちになったよぉ〜 

ルート君が数学の先生になったのも、良かったヨネ。"^_^"
(本と映画がごっちゃになってます。ごめんなさい!)
Posted by あぷてぃ at 2007年02月17日 07:48
こんにちは!
これ、数学の単位をお情けでもらってた私が見て理解できるのかな…と思って、原作も映画も見ませんでした。
最近まともに読書もしてないし、やっぱり頭がついていけるかどうか、心配…。
ちょっと頭を慣らしてから、読みたい本です(^^;)
Posted by おこ at 2007年02月18日 00:16
★あぷてぃさん
映画はまだみてないんですよね〜。
映画の予告は見て、配役も知ってたので、どうも読んでるときの博士の顔が決まってしまって…。
映画もいいんでしょうけど、ちょっと困りモノでしたね。

>ルート君が数学の先生になったのも、良かったヨネ。"^_^"
そうそう、いいよね、とっても。
なんか泣いちゃったよ。
Posted by だのん at 2007年02月18日 11:14
★おこさん
数式のところは、確かに難しい部分もあるけど、
なんとな〜く雰囲気だけ感じ取って読んでいくといいと思いますよ。
数式の持つ美しさもひとつのテーマだけど、それ以外の人間のもつやさしさが、
もっともっと、重要なところだと思うから。
ま、無理せず読む気になったら、読んでみてください。
Posted by だのん at 2007年02月18日 11:18
あれ?コメントしたつもりになっていたけど、書いていなかったんですね。
(記憶は博士よりはもつはずなのですが((((((^_^;)
おこさんが数式のことを心配していらっしゃいましたが
私も半分くらいしか理解していなかったような(^_^;)
全体に流れるほんのりとあたたかな…春の陽だまりのような雰囲気を
味わうだけでもいいかもしれないと思います。


Posted by じゅんぺい at 2007年03月08日 04:32
★じゅんぺいさん
そうですね、春の陽だまりのような雰囲気ってうまい表現ですね。
そんな感じですよねぇ。
ほんわか、あったか〜い気持ちにさせてくれる本です。
Posted by だのん at 2007年03月11日 15:55
はじめまして

やさしく切ない作品ですね。

私は数学が好きなので、その美しさを代弁してくれたかの本書もまた好きです。

数学に限らず、「もののあはれ」を思う感性を、失いたくないものですね。
Posted by チャーリー432 at 2007年04月10日 23:29
★チャーリー432さん
こんにちは。コメントありがとうございます。

やさしく切ない、ってのはそのとおりだと思います。
それに数が作り出す美しさを感じさせてくれるこの作品は、とても素敵ですよね。
もうボクは公式とかもあらかた忘れてしまいましたが、つめこみじゃなく、
そういう美しさも感じながら、子どもたちが身につけていってくれたらなぁと思いますね。
Posted by だのん at 2007年04月14日 15:32
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